無人の村についた頃には、既に午後7時を過ぎていた。
 
一日頭上が曇天に覆われていたため、陽が落ちるまで『夜』を感じることが出来なかったのだ。
 
一切の明かりの無い民家の群は不気味なものがあったが、村内を調べるにしても夜間では何かと都合が悪い。
 
二人は村の入り口にある、平屋で夜を明かす事にした。
 
 
 
最近まで人間が生活していただけあり、宿泊施設としては申し分ない。
 
電気は通っていないが、代わりに発電機が在った。
 
起動させるとやがて、平屋にいくつかの電灯の明かりが満ちる。
 
 
 
肉袋こと美耶子が、あぁ〜っ!と歓声を上げて畳みの上に敷いてあった布団に倒れこんだ。
 
レインコートもTシャツもジーンズも靴下も脱ぎはらってうつぶせに転がる。
 
…その後に、何故ブラジャーが続かない!
 
蕎麦先生が下らない叫びを心中に落としながら、雨戸を閉め、
 
玄関や庭に面した扉・木戸を机や戸棚で封鎖し始める。
 
 
 
「あ、バリケードですか?」
 
 
 
足をバタバタさせながら訊く美耶子に、蕎麦先生がレインコートを脱ぎながらああ、と応じる。
 
 
 
「村人が怖れたシドモ様とやらが、村内をうろついていないとも限らんからね。
 
 念のため塩の線も引いておこう。人工塩じゃない、厄除け効果の高い天然塩だよ」
 
 
 
「私も護身グッズ持ってきたんですよ!出来る女探偵 牛袋 美耶子 です!」
 
 
 
バッと飛び起きてリュックサックを漁る美耶子。
 
神社のお守りでも持ってきたかな?塩の瓶を開けながら一瞥をくれた蕎麦先生の鼻先に
 
 
 
 
 
美耶子がおびただしい数の釘が刺さった木製バットを突きつけた。
 
 
 
「シドモ様が現れたらこいつでガツン!と!」
 
「ああ、頼もしい。殴る時はくれぐれも相手を確かめてから殺るんだよ」
 
 
 
蕎麦先生の骨のような指が、釘バットをそっと押し返した。
 
この女は物理的に危険なだけでちっとも頼りにならない。これでは脚を触るのも一苦労だ。
 
せめて予想通り神社のお守りでも持参してくれていたら、まだ戦力になったものを。
 
 
 
…交通安全や安産祈願のお守りを持ってきそうだな。
 
雨戸沿いに塩の線を張り終わった蕎麦先生が、フーッ、とため息をついた。ところで。
 
リュックサックからごそごそとホッケーマスクやらスタンガンやらを取り出していた美耶子が、
 
あーっ!と悲鳴を上げた。
 
 
 
「どうした?」
 
「大変です先生!食糧が尽きました!!」
 
 
 
ここに来るまでに、チョコボールと水しか口にしていないはずだ。
 
つまり…この女…
 
 
 
「要らん凶器だけ背負って登ってきたのか…?」
 
 
 
えへえへと笑う美耶子の耳を、白い指が思いっきりつねり上げた。
 
 
 
 
                ◇◇◇
 
 
 
 
必要以上に明るい蛍光灯の下。布団と持ち物が散乱する部屋の隙間に、どん兵衛の湯気が立つ。

 
平屋の台所には水道の蛇口が見当たらず、代わりにミネラルウォーターのボトルが山のように積まれていた。

ガスコンロも同様に存在せず、かまどの傍には箱入りの固形燃料と、宅配便の配達箱に入ったままの薪束が在る。

山奥の村の事、ガスも水道も通っていないのは当然の事だろうが、とにかく不便だ。

おかげで二人は、たかが夕食を作るのに体中炭臭くなるハメになったのだ。


……ともあれ、布団の上にあぐらをかいた蕎麦先生はおもむろにどん兵衛を取り上げ、ソムリエのように深く即席そばの香りを吸い込み、愛でた。
 
対面に座した美耶子がその様子を、ずるずる麺を啜りながら呆れた様に眺める。
 
 
 
「名前が蕎麦太郎。好物もそば。ってゆーのは、ちょっとひねりが無さ過ぎやしませんか?」
 
「ストレートに生きるのも悪くないものだよ。つまり君は肉袋、いつ何時私にしなだれかかって来ても一向に構わない!」
 
 
 
やっぱりそう言う意味合いかい!
 
蕎麦先生の膝を蹴ろうと伸ばされた素足を、割り箸がぱしりとと挟み、捕らえる。
 
そばの香りを愉しむまま、蕎麦先生の目が薄く細められ。
 
 
不意に真剣な声が美耶子に降る。
 
 
 
「シドモ様とは何か。村人の答えは得られなかったんだな?」
 
 
「…村人を保護した人々が問いただしたんですが、肝心な事は何も。
 
 シドモ様が村を襲い、祟った。そう繰り返すだけだったそうです」
 
 
「祟る。と言う事は、やはりシドモ様は熊やなんかの獣ではない。
 
 敬称で呼ばれている事から、土地神の類か…あるいは、昔から居る一種の、悪霊か」
 
 
 
だがしかし、と蕎麦先生が美耶子の足から、腿へ箸を滑らせる。
 
 
 
「土地に根ざした神や悪霊は、その土地の人間を全滅させる事はまず無い。
 
 そう言った存在は畏怖の念と共に、地元民と共存するものだ……
 
 村人が全員、そのモノから着の身着のまま逃げ出すなど、尋常な事ではない」
 
 
「怒らせたんじゃないですか?誰かが……何か、して」
 
 
 
内股へ入り込もうとする箸を、美耶子が自分の箸で受け止め、制した。
 
実に行儀が悪い。蕎麦先生は目を三日月にして、声だけは真剣なまま、箸をぶるぶる震わせる。
 
 
 
「祀るべき神に無礼を働いたか。それとも……
 
 元々そいつは、祀るべき存在ではなかったのかも、な」
 
 
「…?」
 
 
「祀ってはいけないモノを祀っていた。そういう事例も、ある……ああ、ダメか」
 
 
 
二人の交差する視線の下方で、箸の折れる音がした。
 
諦めて箸をひっくり返し、持ち代でそばをすすり出す蕎麦先生。
 
美耶子は黙って汁を口に含み……背後の雨戸を、振り返った。
 
 
 
「やみませんね。雨…」
 
「その格好では冷えるぞ。布団はくっつけて寝よう」
 
 
 
懲りないヤツ!と眉をひそめた美耶子が返す視線の先で、蕎麦先生が一切の笑みを消していた。
 
しとしとという雨音が、不意に風を伴い、ばらばらと雨戸に跳ね返る。
 
 
 
「離れるな。用足しに行く時も私に言え。そして、けして塩の線を踏むな」
 
 
 
いいな。
 
有無を言わさぬ蕎麦先生の言葉に、美耶子は小さく唾を飲み込み、はい、と呟く。
 
 
 
 
部屋の隅のトランクで、テルテル坊主がぐにゃりと笑った。
 
 
 
 
 
 


 

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