「…つまり…この村の人達は、初めから悪意のある言い伝えに騙されていたんですね」
 
「ミスリードという奴だな。誰だってあんな石の絵を見れば、鬼灯と水盆を用意するさ」
 
 
 
茜色の光に染まった村の真ん中で、二人は地面に火を焚き、その灰を焼ける傍から掻き集めていた。
 
彼らの周囲には焚き火を囲むように大きな円状の溝が彫ってあり、
 
蕎麦先生は出来たての灰を溝に注ぎ込んでは、深く目を瞑って合掌する、という動作を繰り返す。
 
 
 
「純粋な木材だけを火にくべるんだ。薪だけを燃やした灰には魔よけの効果がある。
 
 本来私の専門外の、海外の方策だが……最早、塩も尽きたしな。仕方あるまい」
 
 
「ねぇ先生。シドモ様が、無理やりこの世に引き止められた水子の憎悪だって言いましたけど…
 
 水子は人を祟らないんでしょう?何か変じゃないですか、この言い回し。
 
 実際人を襲うのは水子じゃなくて、水子を食べた獣の魂なんだし」
 
 
「つまりだな、この村で行われた水子転生の儀式には、三つの結果がありえるわけだ」
 
 
 
休みなく溝に灰を注ぎながら、蕎麦先生が声だけを連ねて説明する。
 
 
 
「1 水子の魂が母体に宿り、正常な子供が生まれてくる
 
 2 水子ではなく、水子を喰らった獣の魂が母体に宿り、シドモ様となって生まれてくる」
 
 
「…それで全部じゃないですか?三つ目の結果って…」
 
 
「3 水子と獣の魂、両方が同時に母体に宿り、シドモ様となって生まれてくる」
 
 
 
美耶子の薪をくべる手が、ぴたりと止まった。
 
パチパチと弾ける炎が、吹き付ける風に、赤い掌のように揺れる。
 
 
 
「…2と、3って。どう違うんですか」
 
 
「即ち2の場合、純粋な獣の怨念が赤ん坊となって生まれ落ち、人間を襲う。
 
 こうして出来たシドモ様は言ってみればただのバケモノだ。凶悪な、殺戮衝動だけのバケモノ。
 
 3の場合のシドモ様は、獣と水子の魂、意識が混在している。
 
 記録によるとこのシドモ様は一見まともな人間のように育つが、実は精神の底に獣の殺戮衝動がくすぶっている。
 
 人を憎み、恨み……たとえば親思いの優しい『いい子』の顔をして。
 
 ある日。突然。自らの親を八つ裂きにしたりする」
 
 
 
それが一番タチが悪いじゃないか。美耶子は呟き、唾を飲み込む。
 
生まれてからずっと可愛い我が子であった存在が、突然自分に憎悪を向け、襲ってくる。
 
……シドモ様か、人間か。その瞬間まで区別がつかない……
 
 
 
「だからな、肉袋クン。3のシドモ様は、生け贄にされた獣と、まともな人間に成れなかった水子の、
 
 一匹と一人の混合憎悪なのだよ。
 
 獣はよくも殺しやがって!と憎み、水子はよくもバケモノにしやがって!と怨み、殺すのだ」
 
 
「…あれ……先生、それじゃ、3のシドモ様はこの村の外で本性を表す事になりますよね?」
 
 
 
成長してから親を殺すのだから。
 
と言う事は、この村の中にいるシドモ様は、必然的に生まれた瞬間から人を襲う
 
2のシドモ様、と言う事になる…?
 
 
 
いや、待て。そもそもこの村は外部の人間に対して子授けの儀式を行うのだ。
 
別に出産それ自体に立ち会うわけではない。
 
ならば、いずれにせよシドモ様は、村の外で発生するのでは…
 
 
 
蕎麦先生が、溝全体に灰を注ぎ終わり、汗を拭いながら美耶子に歩み寄ってきた。
 
考え込んでいる美耶子の肩に汚れた手を置き、顔を近づける。
 
 
 
「そうだ。シドモ様は、本来村の中には現れない。
 
 儀式を行う者達もシドモ様が生まれるリスクを知っていたから、
 
 妊婦を出産まで村に引きとめはしなかったし。生まれた子と二度会う事もしなかったんだ」
 
 
「じゃあ、何なんですか?あの石は、この……今の、状況は?」
 
 
 
「石は、万が一の時の、安全策。儀式を司る特別な家の者が、それ以外の村人を犠牲にして、生き残るためのな。
 
 ……そして、今の、シドモ様が村内にはびこっている現状は………」
 
 
 
誰か、生きた人間の意図した事だ。
 
シドモ様をあえて村内で産み落とすか、育てた奴が居る。
 
何事かを、期待して………
 
 
 
 
燃え盛る陽が、やがて山の狭間へ、堕ちて行った。
 
 
 
 
                ◇◇◇
 
 
 
 
午後、10時。
 
夜の帳が下りてから、二人はずっと灰の積もった溝に囲まれた、6畳程度の円の中に居る。
 
火を焚いているとは言え、風の吹く屋外に座っているのは辛いものがある。
 
美耶子は民家から運び出した布団を地べたに直接敷き、毛布と掛け布団に挟まれて頭だけ火の方へ出し、転がっていた。
 
円の中にはそんな美耶子と、飲食物と薪、そして白い画用紙に白いクレヨンを塗りたくる蕎麦先生だけが存在している。
 
 
 
ちなみに灰を注いだ溝の上にも、雨避けのシートがかぶせられ、更にその上に灰の線が引かれていた。
 
 
 
「先生…それ、何してるんですか?」
 
「私の『信仰』だよ。こうしていると、神様が守ってくれるんだ」
 
「先生の神様って、あの護符に書かれた恵比寿様や、稲荷様じゃないんですか?」
 
 
 
白いクレヨンが、画用紙をがりがりと、白く白く、白く塗りたくる。
 
美耶子は自分の正面にあぐらをかいて座る蕎麦先生の顔が、
 
 
 
炎に、僅かに狂気じみた影を映すのを、見た。
 
 
 
「恵比寿様や稲荷様は、私だけを守ってはくれないからな。
 
 だがこの神様は、私を、私だけを、守ってくださる」
 
 
「……画用紙と、クレヨンが…?」
 
 
「人は何故神にすがると思う?」
 
 
 
クレヨンを画用紙にこすりつけながら、蕎麦先生が美耶子を見る。
 
今度ははっきりと、美耶子は彼の顔に、邪気を見た。
 
山羊の目のような、一切の人間性を感じさせない、暗い眼球。
 
 
 
「何もない、味方が一人も居ない絶望の底でさえも。
 
 神だけは個人個人が勝手に信じ『居る』と思い込み………
 
 なきながら。すがりつく事が、出来るからさ」
 
 
 
 
 
 
 
「分かるか。肉袋。僕は八百万も、キリストも、仏陀も知らなかった。
 
 そんな僕が必死に思い込み、『創り上げた』のが、この『神』だ。
 
 姿の無い、白いだけの神だ。僕だけの、神だ」
 
 
 
蕎麦先生がクレヨンを取りこぼし、白に白を塗りこめた画用紙を抱きながら、美耶子に近づいた。
 
その表情にぎくりと身構える彼女の頬を、蕎麦先生の手が優しく撫で回す。
 
山羊の目が、ぐぐ、と嫌な笑みを浮かべ、言った。
 
 
 
「誰か居るぞ。この村に、私達と、屋敷のシドモ様以外の誰かが」
 
 
「!…何で分かるんです…?!」
 
 
「子授けの儀式には、何が要った?水子の死体と、へその緒……そして、それを喰らう犬猫だ。
 
 
 
 あの屋敷には、一匹も、犬猫は居なかった。死体すらも」
 
 
 
誰かが。処分したんだ。
 
村人たちは、着の身着のまま、隣町へ逃れたと言う。
 
ならば、犬猫を処分したのは彼らを囮に逃げ出した連中か……
 
あるいは後から、この村にやってきた、ダレカ。
 
 
 
蕎麦先生が美耶子に屈み込み、その耳に上から言葉を吹きかける。
 
 
 
「村人の行方不明者は、4人。その内の何人かが『石』の悪意を知る、特別な家の者だろう。
 
 彼らが儀式の媒体である犬猫を連れ去ったのか?
 
 ……それも、在りうるだろう。だが、今はもっと怪しい人間が居る」
 
 
 
誰ですか。そう問おうとした美耶子が、蕎麦先生の手を両手で抱き取り、布団から跳ね起きた。
 
一瞬で全身を震わせはじめた美耶子を抱きしめながら、変わらぬ歪んだ笑顔で、
 
蕎麦先生が、振り向いた。
 
 
 
 
 
 
灰の線の、すぐ向こう側に。
 
埃と血で汚れた黒髪を揺らす、黄色いキャミソールの女が立っていた。
 
 
 
「そう。君だナァ、ユミ………君は儀式の行われた屋敷に『閉じ込められていた』んだからな…」
 
 
 
ユミの端正な顔立ちが、その、整っている分だけ、余計に。
 
醜悪な、悪意の色を、色濃く映し出していた。
 
 
 
震える美耶子の目が、そのユミの手に下げられた、ナタと、潰れた獣の首を捉える。
 
無言で灰の線を越えようとするユミに、蕎麦先生が美耶子にしがみつかれたまま、立ち上がった。
 
 
 
「君はつまり、獣と水子の魂が同居した、第三のシドモ様というわけか?
 
 シゲ達の肝試しも、君が暗に煽ったんじゃないかね…そして自分だけ、あの屋敷に先回りして…」
 
 
「何言ってんの?」
 
 
 
バカじゃない。
 
そう斬り捨てたユミの足が、灰の線を。
 
 
いとも簡単に、踏み越えた。
 
 
蕎麦先生の笑顔が消え、美耶子が腰を抜かしたまま、その足にしがみつく。
 
 
 
嘲笑するユミの手に握られたナタが、ぽとりと赤い雫を垂らした。
 
 
 
 
「私は『産まれた方』じゃない……『産んだ方』よ」
 
 
 
 
 


 

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