ナオキはとても優しい人だったけれど、男女の間柄で一番肝心なトコが歪んでいたわ。
 
お互いが気持ちいいって事はとても大事だけど、一度『出来て』しまったらもう絶望しか残らない。
 
だって私達は、未だ学生なんだもの。
 
 
 
孕んだのは私、でも気持ちよくないからって避妊具を外したのは、ナオキ。
 
生理が来ないとか、お腹が気持ち悪いとかしょっちゅう言ってたら、
 
ナオキはある晩、いつもより数段滅茶苦茶な抱き方をしてから、バイクでこの村に私を連れてきたの。
 
 
 
何も心配ない、親に言う必要も、誰かにバレる恐れもない。
 
この村の人は、絶対秘密で、しかもタダで中絶をしてくれるんだって、彼は言った。
 
バイトの先輩とか、友達が何人もこの村の世話になったから、確かな話だって。
 
 
 
正直ショックだったけど、でも、仕方ないんだなって思った。
 
赤ちゃんを育てる能力は私達には無かったし。やっぱり親にバレるのは、恐い。
 
お腹が目立つ前にこうするのが、皆にとって一番いい事なんだって、ナオキに言われたの。
 
 
 
村の人達は、ナオキと私を見るとワケも聞かずにあのボロ屋敷に案内した。
 
私は裸にされて、一晩かけて変な薬を飲まされたり、マッサージを受けたりして、赤ちゃんを吐き出したわ。
 
中絶って凄く苦しいモノだって思ってたけど、痛みは全然無かった。
 
それもこの村の人気の秘密なんだって、ナオキは満足そうに笑って言ってた。
 
 
 
次の日ナオキは帰ったけど、私は酷い貧血とめまいで動けなくって、そのまま屋敷に残ったの。
 
村の人は嫌そうな顔をしてたけど、文句を言うでもなく布団を貸してくれたわ。
 
 
 
 
…今思えば無理をしてでも、帰ればよかった。
 
夜中に目が覚めて、トイレに行こうと扉を開けたの。
 
そしたら屋敷の外で、鳥居に村人が何人も集まってた。
 
何かもめてるらしくて、聞き耳を立てたのが運の尽きよ。
 
 
 
彼らは私の、人形みたいな小さな赤ちゃんを、小汚い犬に食べさせていたの。
 
バターみたいなものを塗って、ちょっとずつ、切り分けて。
 
 
 
屋敷の外で儀式をするのは禁忌だとか、でも中で私が寝てるから仕方ないとか。
 
御得意様から急に大口の依頼が来たから、急がなきゃいけないとか。
 
新鮮な死んだばかりの水子が、要るとか。
 
 
 
狂いそうだったわ。母性ってこういう事なのね。
 
自分の子供が目の前で喰われていくのを見て、正気で居られる女なんて居る?
 
 
 
私は尿意も忘れて中に戻ったわ。声を殺して泣き尽くした。
 
それでも暫くすると落ち着いてきて、血が上った頭が冷静に、動き出したの。
 
 
 
許せない。ナオキも、この村の奴らも、ほうってはおけない。ってね。
 
 
 
視界の端に、磔台みたいなものが見えたわ。
 
近寄っていったら、昼間は無かった穴が開いていたの。
 
下には、変なお札がべたべた張られた部屋。
 
部屋の中には………
 
 
 
 
私はそれから足が立たないとか、吐き気が酷いとか言ってギリギリまで村に留まったわ。
 
隙を見てはお札の部屋に降りて行って、村人がして来た事、犯した罪を読み調べたの。
 
内容は馬鹿馬鹿しかったけど、信じる信じないの問題じゃなかったわ。
 
とにかく奴らを苦しめる方法が知りたかった。
 
 
 
 
 
そしてそれは、簡単に見つかったわ。
 
 
 
 
                ◇◇◇
 
 
 
 
「…君はこの村で、あえてシドモ様を産んだんだな。自分で獣を解体し、ハラワタを喰らって?」
 
 
「違うわ。いきなりそんな捨て身の行動はしない。
 
 ハラワタをすり潰して、村人の食事の鍋に混ぜてやったのよ。何度も何度もね」
 
 
 
ユミの話に美耶子が地面に手をつき、おえっ、とえずいた。
 
蕎麦先生の顔からは既に笑みが消え、はっきりと嫌悪を宿した目が、血濡れのユミを睨んでいる。
 
ユミはそんな二人にナタと獣の首をぶらぶら揺らしながら、愉快そうに笑って続けた。
 
 
 
「犬や猫の数が減ったのに気付いて、あいつら慌ててたみたいだけど。
 
 私は追求される前に山を降りたわ。評判どおり、名前も住所も一切聞かれなかったしね。
 
 …日常に戻ってからも、異変が起きるのを今か今かと心待ちにしていたわ。そして期待通りの事が起きた…」
 
 
 
ふと、美耶子はユミが何故こんな事をべらべら喋るのかといぶかしんだ。
 
自分と蕎麦先生は、ユミにとっては完全な他人だ。
 
勿論普通の殺人事件と違って、ユミがした事は法律などではまともに裁けない類の事。
 
シドモ様を村の女に宿しただとか、人工的な輪廻転生の儀式を行っただとか。そんな事を裁判所が取り合うわけが無い。
 
 
 
…そう考えれば確かにユミが自分のしでかした事を話そうと話すまいと、彼女に実質的なリスクは無いわけだが。
 
 
 
ユミが美耶子達の焚き火に手をかざし、はぁー、と満足げに息をつく。
 
 
 
「ね、面白いこと教えてあげましょうか。水子の宿ったハラワタは、普通一人の女に食べさせるでしょう?
 
 それを鍋なんかに入れて、二人以上の女に食べさせたらどうなるか?」
 
 
「…シドモ様は、発生したぞ。あの屋敷の中に、居た」
 
 
「黒くて、何かでべちょべちょに濡れたシドモ様がね。
 
 ぇへへ……あのね、ハラワタを何人かで食べ分けるとね………
 
 生まれてくる時『食べた分』しか出てこないのよ?
 
 頭だけとか、手だけとか、足だけとか………
 
 書いてあったでしょ。あの、本に…」
 
 
 
えへへ、えへへ、とわざと愛らしい声で笑うユミが、手にした獣の首をぼん!と火に放り込んだ。
 
 
 
 
 
その瞬間。山間の静かな空気を、何かが破裂したような凄まじい音が貫いた。
 
 
 
とっさに身を屈め、美耶子を庇う蕎麦先生の目の前で。ユミが糸の切れたマリオネットのように、ばたりと倒れる。
 
音の正体を勘ぐるヒマすらなく、夜闇の向こうから何かが、靴と鉄の音を鳴らして迫ってきた。
 
 
 
焚き火の光に、やがて四つの長い影が地面に刻まれる。
 
上等だがありふれたデザインの私服に身を包んだ中年の男女と、若い背の高い男が一人。
 
そして一人だけ、ごわごわと生地のささくれ立った、どす黒い、蟲が集ったような布を纏った老人が、
 
古めかしい猟銃をこちらに向けて構えていた。
 
 
 
 
四人。蕎麦先生と美耶子は、一瞬で連中が何者かを察した。
 
行方不明になった四人の村人。他の村人を犠牲に逃げ延びた、儀式を司る、特別な家の人間達。
 
 
 
「……ずっと、見張っていたのか…?まさか……」
 
「このアマ、何てぇ事してくれたんだ!」
 
 
 
中年の男がユミを指差し、罵声を浴びせる。
 
 
 
蕎麦先生は、人間の人格は年齢と共に顔かたちに浮き出るものと考えている。
 
骨格の美醜の話ではなく、ある種の下劣な生き方をしてきた者は、特有の歪みが顔面に生じるのだ。
 
恥も知らず、誰も思いやらず、誇りの無い生き方をしてきた者は必ず下品な、醜い中年になる。
 
 
 
蕎麦先生の基準において、目の前の中年男は最悪の形相を呈していた。
 
一方傍らの中年女は、怒ってはいるようだが、どこか情けない、後ろめたそうな色を表情に浮かべている。
 
若い男は純粋な殺意の塊だ。人ならざると言ってよいほど吊りあがった目で、金属バットを振りかざしていた。
 
 
 
そして、問題は四人目の老人…
 
蕎麦先生も美耶子も、こんな奇怪な人間は見た事も無かった。
 
まず目の焦点が合っていない。斜視というものはあるが、それとも微妙に違っていた。
 
まるで、カメレオンだ。それもぐりぐり動き回るのではなく、視神経が切れているかのように
 
両の瞳が互い違いの方向に固まって落ち込んでいた。
 
 
 
そして鼻孔と口唇が、裂けて繋がっている。人の顔と言うよりは、犬に近い。
 
肌は土気色で、顔も、衣から見える足も、がりがりに痩せているのに、猟銃を構える腕だけは、丸太のように赤く膨らんでいる。
 
 
 
「お父っつぁん!どうすんだよ!!女は殺した!こいつらはどうする!?」
 
 
 
中年男がヒステリックに叫び、蕎麦先生と美耶子を何度も何度も指差した。
 
ユミと違い、この四人とは会話が出来そうに無い。
 
蕎麦先生は美耶子と共にそっと身を起こし、僅かに後ろへあとずさった。
 
 
 
『『 外のモンにぃー知られてはぁならぬぅー 』』
 
 
『『 儀式ぃなくしてぇー村はぁ存続できぬぅー 』』
 
 
 
気の抜けるような、吐息と鼻息に混じった空ろな声が老人から放たれる。
 
 
 
蕎麦先生は、老人が口唇が裂けているにもかかわらず、はっきりと唇音(呼気が唇に触れる事で出せる音)を操るのを見て。
 
老人もまた、シドモ様と同じく、まともな人間ではないのだろうと思った。
 
 
 
若い男が金属バットを構えたまま、二人に向かって歩み寄ってくる。
 
中年男が後ろから、今度は笛のようなカン高い笑い声を上げて叫んだ。
 
 
 
「孫八!女の足を折ってな!男はブッ殺せ!!もう一人殺したんだ!何しても同じだんべ!!」
 
 
「親父。お袋どっかやっててくれや。趣味悪いでよ」
 
 
「ばっかおめぇ!祭司の血筋のモンがンな肝の小せぇ事でどーすんだ!?
 
 母ちゃんの前でも立派におっ勃てて犯せや!!わしらぁ子授けの専門家じゃい!!
 
 見とってやっからよ!!乳のでかい女じゃぁ!!!」
 
 
 
最後の最後で、一番タチの悪い敵に当たった。
 
腰にすがり付いてくる美耶子を庇ったまま、蕎麦先生は密かに拳を握り締める。
 
 
 
若い男や、中年男女はまだいい。老人の持つ猟銃だけが、素手の蕎麦先生には対処できない。
 
手元にある道具は何だ?白いクレヨンと、それを塗りたくった画用紙、発光していないライトボール、
 
いつの間にか両目と口を全開にしていたテルテル坊主と、飲食物、焚き火に手を伸ばせば、燃えている薪を掴めるだろう。
 
あとは、あとは、、、
 
 
 
咆哮を上げて、たたらを踏むように若い男が、金属バットを蕎麦先生に向かって振り上げた。
 
 
 
 
                ◇◇◇
 
 
 
 
男が蕎麦先生を囲む灰の円を踏んだ瞬間、ブルーシートがズボッ!と音を立てて、溝の中に男の足ごと落下した。
 
足を取られ「おわっ!」と声を上げる男が、迫る地面に手をつき、顔を再び前方に向けた瞬間。
 
蕎麦先生が脇を走りぬけ、その腰から美耶子がスタンガンを抜き取り、
 
 
 
あんぐりと開いた男の口に、火花を散らすスタンガンが、叩き込まれた。
 
 
 
「孫八ぃいいいいいいッ!!!!!」
 
 
 
絶叫する中年男女の目の前で、男の体が痙攣し、口から花火のように閃光を撒き散らす。
 
通常、スタンガンと言う物は映画やドラマで描写されるほど、強い威力を発揮しない。
 
スタンガンを押し付けられれば数分は動けなくなるとか、意識を失うとか言う話があるが、
 
実際はよほど強力な物で無い限り、せいぜい数秒で立ち上がり、復帰できる程度のダメージしか無い。
 
 
 
しかるに、美耶子のスタンガンは明らかに違法改造を施してあった。
 
しかも大した技術も無いくせに配線を弄り回したお陰で、男の口内ではスタンガン本体が破壊される程にスパークし、
 
最早美耶子自身も手を離さねばならぬほどの大発電が起こっていた。
 
口内にさえ突っ込まなければ弾き飛ばされて助かっただろうに…しかし美耶子は尻餅をつきながら、燃える男に中指を立てて吐き捨てた。
 
 
 
「お化けじゃなきゃ怖くねーんだよ!この………ヘニャチン野郎ッ!!!」
 
 
 
見た事も無いくせに悪態を吐く美耶子の前方で、蕎麦先生が武器を拾い上げる。
 
それは、燃え盛る薪ではない。倒れたユミが取り落とした、血の滴るナタだ。
 
 
 
 
 
空気を裂く銃声が、再び村内に響いた。
 
はっと音の方を見やる中年男女と、美耶子。
 
 
 
蕎麦先生が足首から血を噴出し、そのまま顔面から地面に倒れ込む。
 
やった!と声を上げる中年男の、視界の端で。
 
 
 
 
老人の手から、猟銃が音も無く落ちた。
 
 
 
蕎麦先生が放ったナタは、老人の右手の上腕から体内に突き刺さり、肉をハムのようにべろりとこそいでいた。
 
老人が体をくの字に折ると、同時に赤ん坊のような声で笑い出す。
 
 
 
「この……悪魔めぇええええッ!!!!」
 
 
 
地面に倒れたまま、落ちた猟銃に手を伸ばす蕎麦先生に。中年男が走り寄る。
 
蕎麦先生の人差し指が猟銃に触れるか。中年男の靴底がそれを蹴り上げるか。
 
結果が出る寸前、
 
 
 
「産まれるわ!産まれるのッ!!見て!!!!!」
 
 
 
老人の哄笑に混じって。ユミの喜びに満ちた、おぞましい歓声が上がった。
 
彼女に視線をやったその場の全員が、思わず息を呑み、硬直する。
 
胸から血を流すユミが、風船のように。
 
美耶子が、蕎麦先生が、同時に総てを察し、叫んだ。
 
 
 
「『処分』したんじゃなかったのか!バカな……水子の魂を!『総て』ッ!!!!」
 
「全部食べちゃったの!?先生!!!何が産まれるの!!!?何が…!!!!」
 
 
 
ユミの体から、全身から、黒い、汚水のような、瘴気が。
 
 
 
 
 
 
【  わ た し の あ か ち ゃ ぁ  あ  ん  】
 
 
 
 
 
 
その声が世界を揺らしたかと思うと。ユミから、あの夜、蕎麦先生を包んだ『闇』が。
 
 
 
村を、呑み込んだ。
 
 
 
 
                ◇◇◇
 
 
 
 
悲鳴。悲鳴。悲鳴。哄笑。
 
黒く黒く塗りつぶされていく視界の中で、生きている者達の口からそれぞれの音が吹き上がった。
 
蕎麦先生は傷む左足を引きずりながら、猟銃を手に掴み、立ち上がる。
 
 
 
視界を埋め尽くす黒色は、総てシドモ様なのだろう。
 
だが、各人が悲鳴を上げていられるのならば、未だシドモ様は、自分達を認識していないのか。
 
何の根拠も無いが、たとえば人間の赤ん坊は、生まれてから目が開くまでに個人差がある。
 
生まれてすぐ眼を開ける者もいれば、一日二日と閉じたままの者も居る。
 
シドモ様が発生してから人間を認識するまでに、多少猶予があるのかもしれない。
 
 
 
蕎麦先生は感電した男のせいで最早意味をなくした灰の円の方をカンだけで振り返り、美耶子を呼んだ。
 
美耶子の泣き叫ぶ声は聞こえる。だが、返事はない。
 
蕎麦先生は汚水の雫を撒き散らしながら飛び交う闇をかきわけるように、美耶子の方へ、歩く。
 
 
 
急がなくては、いつ周囲の闇が牙を剥くか分からない。しかし……
 
闇が、まるで風のようにごうごうと音を立てて飛び交うせいで、視覚も、聴覚も狂わされる。
 
蕎麦先生は意を決して、大声を上げながら猟銃を、頭上に向けて撃った。
 
空気を裂く破裂音。しかしそれもすぐに、シドモ様の音にかき消される。
 
 
 
美耶子を呼ぶ。美耶子も、蕎麦先生を呼んでいる。しかし、目の前の地面すら見えない。
 
どこだ!美耶子!
 
 
 
もう一度猟銃を撃とうと頭上に持ち上げた。瞬間。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「うがぁああああああああテメェエエエエエエらぁああああーーーー!!!!!!!」
 
 
 
 
 
爆音。怒声。聞いた事のある男のそれが、強烈な光を帯びて闇に飛び込んできた。
 
猟銃を構えた蕎麦先生と、地面にうずくまっている美耶子を。やがてその光が、至近から照らし出す。
 
黒いフルフェイスのヘルメットをかぶった、迷彩柄のカーゴパンツとタンクトップ姿の男が、
 
大きな、緑色のバイクにまたがっていた。
 
 
 
「シゲか!?お前……戻ってきたのか!!」
 
「『浅はかなガキ』なんでね!乗れよ!ここはヤべぇッ!!」
 
 
 
美耶子をシゲの背に押し上げ、蕎麦先生が最後尾にすがり付く。
 
 
 
「さ、三人も乗れるの!?」
 
「日本じゃ違法ッスけどね!外国じゃ4・5人乗りが当たり前ってトコもあるってよ!」
 
 
 
掴まれと叫ぶシゲが、エンジンを吹かした瞬間。
 
ハンドルを握るその手を、べろりと肉の剥がれた腕が、軋むほどに掴んだ。
 
 
 
なっ!と声を上げるシゲと美耶子の前に、カメレオンのような眼をした老人が闇を裂いて顔を出す。
 
 
 
『『  逃 が さ ぬ 。 逃 が し て は な ら ぬ ぅ ぅ ー  』』
 
 
 
腕に刺さったナタを、ごきりと、引き抜く。
 
老人がその刃を、シゲに振りかざした。
 
瞬間。
 
 
 
 
 
蕎麦先生が、猟銃の銃床を、老人のこめかみに叩き付けた。
 
 
 
 
「ここに居ろ。報いが、待っている」
 
 
 
 
老人と、猟銃が闇の中に吸い込まれ。
 
三人を乗せたバイクが、闇を裂いて走り出した。
 
 
 
悲鳴と、悲鳴と、悲鳴が後方に響き渡る。
 
途中何度も段差や障害物に車輪を取られながら、
 
それでもバイクは、やがて闇を追い抜き。
 
 
 
夜の山道を、一台だけで駆け始めた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
                ◇◇◇
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
都会の道路を、青白い光が照らし出している。
 
 
 
早朝の人通りの無い交差点。
 
角から現れた白いブラウスに、スカイブルーのスカートを履いた女が、点滅する信号の下を歩き過ぎる。
 
 
 
女は書類封筒を片手にぶらぶら揺らしながら、やがて道路向こうのラーメン屋に入って行った。
 
『元祖日本麺』と看板を掲げたそこには、安っぽいパイプ椅子のテーブル席が二つと、
 
立派なヒノキのカウンター席が在る。
 
 
 
そしてカウンター席にだけ、唯一ホホバ油で髪をびしっと撫で付けた、男客が座っていた。
 
 
 
「お早う御座います先生、すいませんね、こんな時間に呼び出して」
 
「眠い」
 
 
 
短く不平を零す蕎麦先生の隣に、美耶子が腰を下ろしながら書類封筒をカウンターに落とした。
 
蕎麦先生がフン、と鼻を鳴らしながら、それを取り上げて開封する。
 
彼の足元には、松葉杖が立てかけてあった。
 
 
 
「…『完全消失』……か。何とも言えない結果だな」
 
 
「あの後、警察が村に行った時には総てが消え失せていたそうです。
 
 四人の行方不明者も、ユミさんも………当然、シドモ様もね。
 
 私のスタンガンも、猟銃も見つからなかったそうです。まぁ、ややこしい事にならなかった分ラッキーでしたけど…」
 
 
「あまり違法な凶器は持ち歩くな。君には前科があるんだからな」
 
 
 
報告書類に目を通す蕎麦先生の前に、不意にカウンターからたくましい腕が、天ぷら蕎麦を運んできた。
 
腕の主は坊主頭を指で掻きながら、美耶子に御注文は?と問う。
 
美耶子はメニューを食い入るように見つめ、最終的にお子様ランチをシゲに注文した。
 
 
 
「ラーメン屋なのにラーメン頼まねぇ人達だなー」
 
 
「いいじゃんシゲさん!知らない仲でもないし!
 
 でもびっくりしたよ、その年で厨房立ってるんだ」
 
 
「親父に鍛えられてたから。最もその親父は、借金こさえて女と逃げちまったけど……
 
 先生見たく、大学教員だったら良かったんスけどね、カタブツの」
 
 
 
この人全然カタブツじゃないよ?
 
突っ込む美耶子の隣で、蕎麦先生が書類をカウンターに撒き、息を吐いた。
 
 
 
…結局、最後に何が起こったかは、分からずじまいなのだ。
 
 
 
「先生、結局なんだったんスかね。シドモ様って。
 
 あのジジイや、ユミは……どこに消えちまったんでしょうね」
 
 
「喰われたか、どこぞへ連れ去られたか。いずれにせよ最早生きてはいまい……
 
 根の深い呪いに関わったツケだ。シドモ様の群も、どうなったやら」
 
 
 
お子様ランチを作るシゲを眺めながら、美耶子がでも、と声を立てる。
 
 
 
「今までだって、シドモ様は作り出されてたわけですよね。親を殺して、それで…
 
 その後、シドモ様になってしまった水子や獣は、どこに行ったんでしょう」
 
 
「分からんよ。何故なら、シドモ様に関わった者は皆殺されるからだ。
 
 逃げ延びた者も、わざわざ跡を追おうとはせん。後は野となれ、山となれだ…
 
 前に行ったろう?呪いとは、人に災いをもたらすものと、社会に災いをもたらすものがあると。
 
 行方知れずになったシドモ様は、もしくは、社会に災いを振り撒き続けているのかも知れん」
 
 
 
正に、呪いを世に、放ったのだ。
 
忌々しげに蕎麦先生が、海老天の尻尾を齧る。
 
サクサクという音を聞きながら、美耶子は一人、でも、と思う。
 
 
 
ユミが水子の魂を、全部飲み込み、産み尽くしたのなら。
 
そして儀式を行う家の者が、もう、居ないとしたら。
 
これ以後、新しいシドモ様が生まれることは、多分、ない。
 
 
 
そしてひょっとしたら……今世に散っているシドモ様も、いつか、いつか、また、、、
 
 
 
 
「また、赤ちゃんに、生まれてこれるよね…」
 
「そう願う」
 
 
 
美耶子の前に、日の丸が突き刺さったお子様ランチが置かれ。
 
それと同時に、店の奥から、パジャマ姿のシゲの彼女が出てきた。
 
 
 
やがて始まる若者どもの賑やかな朝食会の喧騒に、
 
眉をしかめながら汁を啜る蕎麦先生の足元で。
 
 
 
 
松葉杖に引っかかったテルテル坊主が、小さく、呆れたように笑った。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
                       ―― 了 。 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


 

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