レストランを出ると、美耶子達はすぐ正面の桟橋に横付けされた小型クルーザーに乗り込んだ。

髭面の熊のようなクルーに蕎麦先生が名刺を見せると、事前に予約を入れてあったのだろう、

すぐに痩せぎすの船長が、もう一人の小男のクルーを伴って飛んできて、丁寧に挨拶をした。

クルーザーはそのまま五人の人間を乗せ、港から波飛沫を上げて出航する。

蕎麦先生と美耶子はソファに腰を下ろし、トランクと、昨日ホームセンターで購入した物品の入ったリュックサックを床に放り出した。



「一時間で目的地に着きます。お申し付けの通りわしらはそこから一旦港に戻って、翌朝七時にまたお迎えに上がります。

 何かあったら何時でもいいんで、電話を下さい。一時間で駆けつけます」


「何かあったらって……そんなに危ない島なんですか?」



船長の台詞に、ぎょっとして聞き返す美耶子。

揺れるクルーザーを巧みに操りながら、船長はあぁ、と諦めたような声を返す。



「別に危険な動物も居ないし、地形もなだらかで見晴らしもいい。

 けど、例の精神病院に近づくんなら話は別です。あそこはヤバい」


「『出る』んですか?やっぱり……?」


「あ、いや、そういうアレじゃなくて」



両手を前に垂らしてお化けのジェスチャーをする美耶子に、船長が小さく笑った。



「病院の建物自体が古くて危ないんですよ。ホラ、ほったらかされてだいぶ経つから。

 無駄に広くて三階建て、床は抜けてるし、妙な設備の残骸がゴロゴロしてる。

 あの島に行く人は、みんなあのいわくつきの精神病院を見に行くんですが……まぁ、大抵ロクな事にならないねぇ」


「具体的には、どんな事になるんですか?」


「床や壁が崩壊して、落下死した人とか。病室を探検してたら扉が歪んじまって、閉じ込められた人とか。

 あと、一番多いのは……蒸発しちまった人かな。迎えに行っても出て来ねぇんです。もう六人になるかな……

 面倒な島だから、客を送るなって警察には言われてるんですがね。でもホラ、こっちも商売だし」



背中越しに親指と人差し指でお金の形を作ってみせる船長。その言葉に、美耶子はげんなりして蕎麦先生を見る。

元々何かしらの危険は覚悟していたが、具体的な前例を並べられるとやはりいい気持ちはしない。

腕を組んだ蕎麦先生は、船長の話にも美耶子の視線にも興味がなさそうに、窓の外の海原を睨んでいる。



美耶子はそれからの一時間、クルーザーにぶつかり、弾ける飛沫の音を聞きながら、蕎麦先生と同じように窓の外を眺め続けた。

出航する前は雲ひとつ無い快晴だった空が、時が経つにつれ、あつらえたように鉛色に濁ってゆく。

自分達の行く末を暗示しているかのようなその変化に、美耶子は一人、自然と、過去の記憶を思い返していた。
 
 
 
 
                ◇◇◇
 
 
 
 
美耶子の家は近畿地方の名家で、平成のはじめ頃まではとんでもない広さの土地を持つ、田舎の大金持ちだったそうだ。

父は子供の頃『牛袋のぼっちゃん』と呼ばれて育ったというし、その呼び方をする人々は、今でも多い。

先祖が蓄えた資産はそれこそ凄まじいもので、本来なら美耶子とその家族は働かなくてもよいほど、恵まれた暮らしが出来るはずだった。



だが、少なくとも美耶子は自分がそんな大金持ちの御嬢様である自覚など無かったし、恵まれた暮らしをしているとも思えなかった。

美耶子は産まれた時から平屋の狭く、汚い家に住んでいたし、誰かのお古の服を来て、せんべい布団で寝て、銭湯に通っていた。

欲しい物を買って貰えるのは誕生日だけだったし、お菓子の類も滅多に食べられない。三時のおやつ、などという風習は幻想だと思っていた。

小学生の頃はそんな生活を見た近所の子に「貧乏人」と虐められたし、およそお金とは縁の無い生活だった。

……何故そんな理不尽が起こったのか。元凶は美耶子の父方の祖父母、牛袋家の当主達だ。



そもそも牛袋の本家は美耶子達とは違う人々が継いで来たが、彼らは昭和の終わりに流行り病に倒れ、後継者を残せなかった。

そこで仕方なく分家の人間である美耶子の祖父が当主の座に収まったわけだが……

美耶子の祖父は、昔から分家の人間である事にコンプレックスを抱えており、本家を憎んでいた。



「俺が本家を継いだ以上、俺の判断でこの家を盛り立てて行く」



その台詞を吐いた祖父が当主として初めてした仕事は、家系図を焼き払う事だった。

祖父にとって本来の牛袋本家の人間は敵であり、その先祖に対する畏敬の念など微塵も無かったのだろう。

それからの祖父はまるで先代当主達を嘲笑うかのように、一般人には到底出来ないやり方で牛袋家の財産を撒き散らした。



「俺は先代と違って、良識のある人間だから」と、牛袋家に借金のある人々の家を毎日訪ね、目の前で証文を破り捨てる。

「土地なんて本来、自然の産物だから誰の物でもない」と、山をケーキのように切り分け、得体の知れない団体にはした金で売ってやる。

展開されていた事業を片っ端からたたみ、会社は売り払い、手にした金で社会福祉事業を始める。

ろくに勉強もしていない社会福祉の領域に大金だけをつぎ込み、売名のつもりで他の福祉事業や、慈善団体に莫大な寄付を送り続けた。



祖父はそうやって十年足らずで牛袋家の財産を半分未満にまで減らし、美耶子が産まれる頃には実の子である、美耶子の父にさえ見限られていた。

美耶子の一家は祖父から離れ、牛袋家の財産をびた一文貰う事無く貧乏な暮らしを続けていたのだ。

……父はよく美耶子とその妹……二人の娘に日焼けしたしわくちゃの笑顔を向け、言ったものだ。



「お前らはじいちゃんみたいになるんじゃねぇぞ。俺の生き方をしっかり見とけや。

 これからどんどん自力で金持ちになって、お前らを『牛袋のお嬢さん』って呼ばせてみせるからよ」



散財される前の牛袋家の金で一流大学を出ていた父は、実際その後エンジニアとしてめきめき頭角を現していった。

少しずつ、少しずつ、出張続きの父と会う機会が減る代わりに、美耶子の生活も、マシになっていった。

風呂場も無い汚い平屋から、マンションに引越し、お菓子を与えられる回数が増え、お小遣いまでもらえるようになった。

女の子らしい新品の服も買ってもらえたし、誕生日以外に、クリスマスにもプレゼントをもらえるようになった。

父が怪我や病気で仕事を休む事が多くなったぶん、美耶子と妹が笑う事が増えた。



これでいい。これが理想。

そう言っていた父の努力を、ある日突然祖父が叩き潰した。



「最後の事業に失敗した。新設の特別養護老人ホームの、長をやれ」



牛袋家の財産を使い切った祖父が、よりによって父にすがってきたのだ。

社会福祉事業など、そもそもが儲かる仕事ではない。しかもそれを継ぐ事は、父のエンジニアとして築き上げたキャリアを捨てる事だった。

父は当然拒んだ。だが、それから連日連夜、祖父と祖母が家に頼み込みに来るようになる。

実の母親に土下座までされた父は、結局、数ヵ月後には、首を縦に振ってしまったのだ……












「着きましたよ、お二人さん。どうぞお気をつけて」



船長の声にはっとして顔を上げた美耶子の前に、リュックサックを提げた蕎麦先生が立っていた。

無表情に差し出される彼の手を、美耶子は一瞬の間を置いて、掴み、立ち上がる。

クルーザーは二人が島に降り立ち、数歩歩くとさっさと動き出して、もと来た方へ走り去っていった。

なだらかな、一面の草原。曇天の下暗く沈む風景の向こうには、何の説明もなくともそれと知れる……精神病院が、ぽつんと建っていた。

無言で先に進む蕎麦先生の背中を、美耶子はじっと見つめる。

父の背中よりもずっと細い、スーツの背中……



「…………私は、殺人者なんです……」


「知ってる」



小さく呟いた美耶子に、即座に答える声。

低く通るその声に、美耶子は小さくフフ、と笑って、目を細めた。

草を踏む音に、ひゅぅひゅぅと風の音が混ざり始める。



「頭を、叩き割ったんです……学校にあった野球のバット、持って行って……

 乾いた音がしました。貝殻とか、クルミの殻を踏み潰すみたいな。きっと、中身があまり詰まってなかったんですね」


「……」


「ちょっとボケが始まってたし、一回殴ったらおとなしくなりました。その後『雌』の方も探して、一回。

 ……二人を台所に重ねて、とりあえず気が済むまで殴り続けたんです。先生、聞いてます?」


「……」


「……頭がぱっくり開いてて、黒い血がだらだら流れてて……なんだか、それがやたらムカついて……

 その傷口に向かって、おしっこしてみたんです。とにかくとことん侮辱してやりたくて。それで」


「分かるよ」



蕎麦先生の返事に、美耶子の顔から笑みが消えた。

背中を向けたまま、蕎麦先生がもう一度、分かるよ、と繰り返す。



「あそこに幽閉されていた時、私も、同じような妄想をしたものだ」



精神病院を指差して言う蕎麦先生に、美耶子の足が止まる。

数歩歩いてから、同じように立ち止まった蕎麦先生に、美耶子の唇が震えながら言葉を吐く。



「あいつらのせいで、お父さんはボロボロになったんです。遊んでくれなくなったし、いつもイライラして……

 お母さんに当り散らすようになって、お母さんは、私を……殴るようになったし……だから、私……誰かに優しくして欲しくて」


「担任の教師だったそうだね。君の、恋人は」


「……優しい人だった。放課後に勉強も見てくれたし、虐待を心配してくれて、家に泊めてくれた事もあって……

 本当に好きだったの。だから、先生にアザを見せてって言われて、裸になるのも嫌じゃなかった。

 嬉しかったの。アザを撫でてもらって……そのまま…………」



振り返ろうとする蕎麦先生を見て、美耶子がとっさに顔を背けた。

トランクを提げた手に力が入り、革が軋む音が零れる。

頬の辺りに視線を感じたまま、美耶子は足元の草を睨み、続けた。



「だから余計、許せなかったんですよ。奥さんにバレそうだからって、お金渡しておしまいにしようとしたのが。

 遊びじゃなかったんです。私は人生をかけてたのに、それを……

 だから、殺してしまったんです。最後に抱かれてる時に、下から突き刺したんです。包丁で、彼を」



一人殺してしまったら、もう止まらなかった。

未成年だった美耶子は自分の真っ当な人生が終わった事を悟り、それが同時に、

憎むべき人々への殺意を爆発させるきっかけになったのだ。

教師の死体を放置したまま、祖父母の自宅へ忍び込み、撲殺し、

その後最後の被害者である叔母の家へ向かい、殺した。

美耶子の叔母は牛袋家のための努力を一切する事無く、ボケ始めた祖父母の面倒を一切見る事無く、

正常な判断力の無い祖父母を言いくるめ、なけなしの財産を騙し取っていたのだ。

それは本来、美耶子の父と叔母で正式に分配すべき、遺産だった。

美耶子は、自分の家族が幸せに暮らせるように、頭を殴りつけ失神させた叔母を湯の張られた浴槽に沈め、殺した。

その後自宅に帰る途中で、警官に取り押さえられたのだ。



四人も殺した以上、死刑は当然だと思った。

明確な殺意もあったし、言い訳の余地は無い。

自分は擁護のしようも無い悪党だ。そう、覚悟していた。



そんな美耶子に、それまで高圧的に接していた刑事が、ある日突然優しく微笑むようになった。

明らかな同情のこもった笑顔。殺人の方法や動機だけでなく、美耶子の今までの人生や、心情を詳しく聞きたがる。

……どういう事だ?

困惑する美耶子は、やがて刑事以外の小奇麗な格好をした、カウンセラーを名乗る女性と話すようになった。

最初の被害者である教師の家から、教え子である美耶子との性的な営みを記録した、ビデオテープが発見されたためだそうだ。



「彼は『撮る』のが好きだったの。ただの趣味だと思ってたけど……それを、ネットオークションに出そうとしてたみたい。

 流石に未成年のテープを普通に売ったら捕まるから、足がつかない方法を色々調べてたんだって。

 ……正直、どうでもいいよね。彼は殺されちゃったのに。でも……」



刑事達にとって未成年への淫行と、その記録の売買未遂は、殺人に匹敵するほどの罪だったのかもしれない。

話を聞いていた蕎麦先生の視線が、美耶子の顔からそれた気配がした。

葉巻をカットする、バチッ、という音が聞こえる。



「……犯罪にも『流行』がある。世論の様子を見て、また法律の改正などの事情で、警察が同じ犯罪を強く取り締まったり、見逃したりする。

 君が逮捕された時、ちょうど性犯罪や未成年への虐待が『流行』だったんだろう。世間の注目を集めていた。

 だから、君はカウンセラーなんかをあてがわれ、多少同情的に扱われたのかも知れんな」


「あんまり優しくしてくれたから、私、担任の教師とは恋仲じゃ無かったって言ったわ。

 レイプされて、テープを撮られて、脅されてたって。そしたら皆すんなり信じて……

 その後の殺人も、全部レイプとか、家庭環境のせいにされちゃって……それで……」



美耶子は少年院送りになった。四人もの人間を殺して、初等少年院に数年入るだけで済んでしまった。

美耶子にとってそれは嬉しい誤算でも、神の助けでも無かった。

こんなに簡単に、殺人の罪が軽減されていいのか?

数年後、少年院の門をくぐり、迎えに来た両親と妹が泣きながら駆け寄ってくるのを見た美耶子は、




ああ、こんなものか……




と、思った。



「家族は今も、私の味方です。妹なんか、よく殺してくれた、なんて言うんです。あの、バカ。

 ……先生、私は、『まっさら』なんでしょうか。罪を償った事になるんでしょうか」


「本当に罪を感じているのか?自分の行動に」



マッチを擦る音、そして、ほのかに甘い葉巻のにおい。

蕎麦先生の問いかけに、美耶子は少し、長く考えた後、

口端を、ゆっくり、ゆっくり引いて、首を横に振った。

奴らは、殺さなきゃならないクソ野郎でした。

そう結論付けたらしい美耶子の顎を掴み、蕎麦先生が無理やり目を合わせる。

葉巻をくわえた蕎麦先生は何の感情も顔に表す事無く、首を傾けて言った。



「なら、まぁ、いい。社会が君の罪を少年院送りで済まし、君自身、良心の呵責を感じていない。

 ならば誰にももう、君を裁く事は出来ないだろう……多分、ね」


「すいません先生、変な話しちゃって。……そう、私は『まっさら』でした」



間近で更に笑おうとする美耶子の顎を離し、蕎麦先生はまた精神病院に向かって歩き出した。

美耶子にはその仕草が、まるで汚いものを避けたように見えた。
 
 
 
 
                ◇◇◇
 
 
 
昼過ぎ。迫るような三階建ての精神病院に辿り着いた二人は、強くなってきた風から逃げるように玄関扉を開いた。

錆びた大きな鉄扉がぎ、ぎ、ぎ、と軋み、頭上から錆とホコリが落ちてくる。

一歩中に足を踏み入れれば、一切の光の差し込まぬ暗闇が立ち込めていた。

いくら曇天とは言え、昼間である。エントランスホールが真っ暗なのは妙だ。

蕎麦先生が赤く燃える葉巻をくわえたまま、ゆっくりと美耶子を見る。

その視線を受けて数秒、美耶子が気付いたように、彼から預かっていたトランクを地面に置いて開けた。

プラスチック製のライトボールを手にシャカシャカと振ると、振動によって作動したモーターが、ぽぅ、とライトボールを発光させる。

そのまま暗闇に向けてライトボールを二つ放ると、光は数回バウンドしてコンクリートの床を転がった後、ふ、と地面に吸い込まれて消えてしまった。



「あれっ!?」


「……地形がよく分からん時はこっちを使え。ライトボールは1ダースしか無いんだから」



そう言って蕎麦先生は強力ライトを持ち上げ、パチリとスイッチを入れた。

青白い光が闇を切り裂き、コンクリートの壁を遥か前方に照らし出す。

コンクリートの床、コンクリートの壁、コンクリートの天井。

光の線があらわにするその場所は、まがりなりにも病院のエントランスホールとは思えぬ、息が詰まりそうな重苦しい空間だった。

そして昼間にもかかわらず陽の光が差さぬ原因は、だだっ広い空間にいくつも点在する窓を塞いでいる、黒い塊。

近づいてみるとそれは、腐りかけた木材や新聞紙だった。

窓をはめ込んでいるコンクリートの穴にいくつも木材を積み重ね、その狭間に新聞紙を挟み込み、封印しているのだ。

試しにそれらを手でどかしてみると、窓自体に何かが塗ってあるようで、完全に陽が入ってこない。

蕎麦先生が窓に塗りたくられているそれの正体を察するより早く、美耶子が後方で「先生!」と声を上げた。

彼女の傍に近づくと、視界の隅にライトボールの淡い光が映る。

強力ライトを向ければ、床に突如空いた穴に、階下へと通じる階段が伸びていた。

その先に先程美耶子が投げたライトボールが転がっており……その周囲には、使いかけの白いクレヨンが、人間の歯のように散乱していた。



窓に塗りたくられていたのは、クレヨンだ。白いクレヨンを執拗に塗りたくってあった。

……何故?



「先生……あそこに降りるんですか……?」


「……窓を開けるのを手伝え。急ぐ事は無い……探索基地を作ってから、調べればいいんだ」



言うが早いか、蕎麦先生は手近な窓を、それを塞ぐ木材ごと蹴り飛ばし、解放した。

砕けるガラスの音が騒がしく響き渡り、外界の光が、さっ、と室内に入ってくる。

次々と窓を蹴り破る蕎麦先生と、明るくなる室内に勇気付けられるように、美耶子もまた目に付いた窓に近づき、蹴飛ばそうと足を上げた。



靴底が木材を蹴った瞬間、ぐしゃりと何かが潰れる音がして、窓ガラスと一緒にどす黒い飛沫が外に飛んだ。

えっ、と声を上げた美耶子が、思わず窓から顔を出し、吹き飛んだ物を確認する。

……赤黒い、生き物の死体……?美耶子に蹴り潰されたそれは、小さな肉片と化していて……



突然、蕎麦先生が美耶子の腰を両手で掴み、力任せに窓枠から引き抜いた。

そのまま蕎麦先生と共に背中から床に倒れる。「いきなり何を」と声を上げた瞬間、窓の外でバンッ!と破裂音がした。

立て続けに起こる異変に唖然とする美耶子を置いて、蕎麦先生が室内から、外を確認する。

美耶子が顔を出していた直下の地面に、植木鉢が砕けて散乱していた。



……偶然なものか。『何か』が、美耶子を狙って落としたのだ。

蕎麦先生はこめかみを押さえながら、床に腰を落としたままの美耶子に近づき、しゃがみ込んだ。

頭痛がする。コンクリートに囲まれたエントランス。白いクレヨンと、落とされ炸裂する植木鉢。

蕎麦先生の中で、必死に忘れようと閉じ込めていた記憶が、うぞうぞと蘇り始めていた。

その様子を心配そうに眺めてくる美耶子に、蕎麦先生は人差し指を立てて見せながら、宣告するように、言った。



「殺されるな、美耶子。今回ばかりは……君を守ってる余裕は、無い……」






 

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