「シドモ様。敬称で呼ばれるから土地神の類かと思ったが…とんでもない」
 
 
 
あれは、ただの憎悪だ。
 
そう呟く蕎麦先生は、急に風が強くなってきた曇天の下、美耶子と二人で村内を歩いていた。
 
テルテル坊主の裂けた口を裁縫針で縫いつけながら、視線はきょろきょろとそこかしこを嘗め回す。
 
釘バットを引きずる美耶子が、ホッケーマスクを麦藁帽子の下に滑り込ませ、顔を晒して聞いた。
 
 
 
「憎悪、って?神様じゃないって何で先生に分かるんですか?
 
 一応鳥居も立ってるじゃないですか。アレ、神社のオプションでしょう?」
 
 
「神社が神をまつるために在ると思ってたら痛い目を見るぞ、肉袋クン。
 
 善い神、人を守護する存在を崇めるだけではない。
 
 人の手に負えないほど凶悪な『権化』を封印するためにも、神社は建てられるのだ」
 
 
 
へぇ、と声を漏らす美耶子がふと見ると、一寸のすき間もなく執拗に口を縫い付けられたテルテル坊主が。
 
むぐぐ…と何事かうめいていた。
 
ホント、ナンなんだろう、コレ。
 
ぽけーっとその様子を眺める美耶子の眼前に、突然蕎麦先生の青白い顔が飛び込んでくる。
 
 
 
「私はあの屋敷の中で、大変なモノを見つけたぞ。肉袋クン」
 
「…なんですか?大変なモノって!」
 
 
 
接吻する寸前まで顔を覗き込んできた蕎麦先生を、美耶子が掌で押しのける。
 
見ればテルテル坊主は休まず動かされる蕎麦先生の指によって、目まで塞がれていた。哀れ。
 
 
 
「屋敷の中は野球場の如くだだっ広く、ただただむき出しの地面が拡がっていた。
 
 …だが、朝日が差して初めて、私は中央にどす黒い柱が立っている事に気付いたのだよ。
 
 それも昔、罪人を磔にしたような、十字に交差した柱をだ」
 
 
「…磔台…ですか?…うわ、気持ち悪…」
 
 
「実際に見ればもっと嫌な気分を味わえるよ。その柱には、まだ乾いていない血の跡が在ったのだ」
 
 
 
びゅぅ、と強い風が、美耶子の浴衣の裾をまきあげて行った。
 
つい足を止める美耶子を振り返り、蕎麦先生が無表情に、テルテル坊主でその胸元辺りを指す。
 
 
 
「柱の根元に、干乾びかけた『はらわた』の切れ端が落ちていた。
 
 安心したまえ、人間のものではない。それにしてはサイズが小さすぎたよ」
 
 
「どういう事なんです?一体…この村で、何が…」
 
 
「それはまだ分からん。『はらわた』は多分、犬猫か、山の獣のものだろう。
 
 …獣を、処刑した?いや、これは恐らく……半ば因習と化した『呪い』の術式だろう」
 
 
 
話が、元々ろくな物ではなかったが、更に悪い方向へ向かっている。
 
美耶子は無人の村の真ん中に立っている事が妙にうすら寒くなり、ただ…
 
 
 
「飛び込んで来い」とばかりに両手を広げて待っている目の前の男に、素直に近寄るのも嫌だった。
 
色んな思いで釘バットを抱き寄せる彼女を見て、蕎麦先生はそのままくるりと背を向けて歩き出す。
 
 
 
「『呪い』と言っても、他者を憎悪の念で殺すためのものではないと思う。
 
 人を正式に呪うと言うのは結構危険な行為でね…
 
 先ず、呪いをかけた相手に、その人を自分が呪った、と、知られてはならない」
 
 
「それはまぁ、知られたら普通に人間関係上タダじゃ済みませんもんね」
 
 
「そんなレベルの話じゃない。
 
 呪いとは、呪いの実行を他人に知られると、かけた呪いがまっすぐ自分に返って来るんだ」
 
 
 
つまり誰かを殺そうとかけた呪いならば、返ってきた呪いで自分が死ぬ。
 
蕎麦先生は手近な民家の縁側に上がりこみ、棚や冷蔵庫を開けながらさらに続けた。
 
 
 
「だから、他人に危害を与える呪いと言うのはなるべく人目につかない場所で行う。
 
 村で最も大きな、しかも隙間だらけの屋敷の中で、それはやり難いものだ」
 
 
「…じゃ、結局何のための『呪い』なんです?」
 
 
「呪いには『人』に災厄をもたらすものと、『社会』に災厄をもたらすものが在る。
 
 即ち、後者だ。人間の社会にとって善くない結果を期待して、この村の人間は『呪い』を実行したのさ
 
 ……見ろ。これだ」
 
 
 
冷蔵庫から顔を出した蕎麦先生が、美耶子の手を引く。
 
覗き込んだ冷蔵庫の中央には、深皿になみなみと注がれた水に、
 
花と葉をそぎ落とされた植物の茎から根が、一本だけ沈んでいる。
 
 
 
「ああ、コレ……私も見つけました。昨日泊まった家で…何なんでしょうね?」
 
 
「私には分かるよ。これは、鬼灯(ホオズキ)の根だ。
 
 深皿の水は、池か湖の象徴だろう」
 
 
「……?」
 
 
 
分からない。そう目で言う美耶子に、蕎麦先生がテルテル坊主をポケットに突っ込み。
 
また縁側に歩き出しながら、答えた。
 
 
 
「中絶、堕胎だ。
 
 かつて要らぬ子を妊娠した女は、鬼灯の根を服用、その煎じ汁で子宮口を洗い流産を願った。
 
 それでも子が流れぬ場合、冷たい水中に身を投じ、何時間もかけて胎児を水底へ排出したんだ」
 
 
「…」
 
 
「その深皿は、中絶の手段を象徴として置いた物だ。それが何故、村内の家々に在るのか?
 
 私には儀式めいて見えてしょうがない。……他の家にも、コレが在るのか?」
 
 
 
問いを投げかける蕎麦先生は、既に向かいの民家へと歩き出していた。
 
 
 
 
                ◇◇◇
 
 
 
 
一面灰色の曇天の向こう側で、太陽が西へと傾き始めた。
 
びゅうびゅう吹き荒んでいた風は、いまやごうごうと、咆哮を上げて山々を駆け抜けている。
 
すっかり体が冷えてしまった美耶子は民家の箪笥から浴衣のほかに、
 
更にブランド物のシルバーフォックスのコートを拝借、モコモコと着込んでいた。
 
 
 
「見たまえ肉袋クン、矢張りこの家にも在った。村内の民家、総てに備えてあるらしいな」
 
 
 
件の鬼灯の沈んだ深皿を片手に、蕎麦先生がカルパスを齧りながら階段を下りてくる。
 
美耶子は畳の上の文机に向かいながら、顔も向けずに声を返す。
 
 
 
「鬼灯もそうですけど、ユミさん。…見つかりませんね」
 
「やはり山を降りたんじゃないかね。そうじゃなきゃ……いや、やめとこう」
 
 
 
口に出したくない。
 
カルパスをポキンと折り、敷きっ放しの布団に座る蕎麦先生。
 
おもむろにカルパスをコリコリ噛みながら、枕に鼻面を近づける。
 
…僅かに香る、これは……石鹸と、美容液の臭いだ。
 
枕の持ち主を夢想しながら傍の箪笥を漁り、女物の下着を取り出す変態先生。
 
 
 
「…黒と白の縞パン、水色のパンツと………恐らく女子中学〜高校生……だと、善いな…!」
 
「センセイチョットコレミテクダサイ」
 
 
 
ドスの効いた声を放つ美耶子に、縞パンを被りながらノコノコ近寄る。
 
美耶子はわら半紙に何やら筆ペンで書き出しているようだ。
 
 
 
 
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きゅうり (山形産)
青ネギ  (大阪産)
トマト  (大阪産)
たまねぎ (大阪産)
はくさい (徳島産)
キャベツ (宮城産)
茄子   (岩手産)
人参   (青森産)
ピーマン (兵庫 及び 広島産)
だいこん (大分産)
ほうれん草(北海道産)
じゃがいも(北海道産)
かぼちゃ (北海道産)
レモン  (広島産)
みかん  (和歌山産)
しいたけ (岐阜産)
 
米    (新潟産)
 
牛肉   (奈良産)
鶏肉   (宮崎産)
 
鮭    (北海道産)
イワシ  (産地不明)
アジ   (産地不明)
 
スティックカルパス(輸入品)
 
ポテトチップス(カルビー)
ポテトチップス(コイケヤ)
ポテトチップス(輸入品)
 
コカ・コーラ(コカ・コーラ)
ペプシコーラ(ペプシ)
ウーロン茶 (サントリー)
ミネラルウォーター (エビアン)
 
ビール(サントリー)
梅酒 (チョーヤ)
 
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「…いや、何だコレは。お腹すいてるのか」
 
 
 
喰う?と食べかけのカルパスを差し出す蕎麦先生を無視して、美耶子はわら半紙をなぞりながら説明する。
 
 
 
「村中の冷蔵庫や台所に在った飲食物を書き出してみたんです。
 
 見て欲しいのはこの()の中なんですけど…先生、何か気付きません?」
 
 
「ン…食品の産地と販売元か。別に一貫性があるわけでもないが……」
 
 
 
わら半紙を覗き込みながら言った先生が、そのままム、と口をつぐんだ。
 
顔を見つめてくる美耶子。蕎麦先生は数秒考えてから、ほぅ、とカルパス臭い息を吐く。
 
 
 
「なるほど、そうか……確かに変だな。
 
 このリストに載ってるのが、村の総ての食い物なんだね?」
 
 
「そうです。特別に貯蔵庫なんか無いかと探してみたんですが、それらしいものはありませんでした」
 
 
「そうか。うん……全部『外』から入ってきた食料だ」
 
 
 
この村で取れた物が無い。
 
カルパスを口に放り込む蕎麦先生。美耶子が立ち上がり、こくりとうなずく。
 
 
 
「唯一朝に先生が食べた大根だけが村の中に育っていた食糧ですが…
 
 あの程度の量、趣味の家庭菜園レベルのものです。常食は出来ない」
 
 
「育ちも悪かったよ。丁度今が収穫期なのに。土も痩せていた。
 
 多分何度も大根ばかり同じ場所に植えて、土の栄養が尽きてたんだろうな」
 
 
「先生、私の言いたい事分かります?」
 
 
 
美耶子が両手の指を胸の前で合わせ、問う。
 
蕎麦先生はにやりともせず、わら半紙を手に取りながら首を傾げた。
 
 
 
「この村は正に山間の村だ。最寄の町へ行く道は険しく、長い。
 
 シゲ達はバイクで来たようだが……村民全員の食い物を運んでくるのは、かなり骨だろうな」
 
 
「もう一つ。そのリストにある食糧は殆ど生ものなんです。肉、野菜、魚……
 
 干物や缶詰が、全然無いんですよ。と言う事は、かなり頻繁に山を降りて買出しに行かなきゃいけませんよね」
 
 
 
確かに。唯一魚欄のイワシとアジが産地不明だが、山でイワシやアジは当然獲れない。
 
保存が利くのは、蕎麦先生が食べたカルパスとポテトチップス、飲み物だけだ。
 
 
 
昨日までのおとぼけたザマを返上した美耶子が、水を得た魚のようにさらに言葉を紡いでくる。
 
 
 
「変なのはそれだけじゃありません。先生、外に食べ物を買出しに行くって事は、当然お金が居るって事でしょ?」
 
 
「そうだな。かなりまとまった額が必要だろう」
 
 
「この村にお金の気配、します?」
 
 
 
漠然とした台詞を放つ美耶子に、蕎麦先生はあんぐりと口をあけた。
 
金の気配。そう言われて思い返してみれば……
 
 
 
「………なんてこった。そうだ。確かにおかしかった……この村…」
 
 
「ええ。『民家しか無い』んです」
 
 
 
蕎麦先生がわら半紙を持ったまま、縁側から外に出る。
 
無人の村には、人が住むための建物と、件の屋敷しか存在していなかった。
 
 
 
「…小さな畑が一つ……それ以外に、家畜小屋も、巻割り小屋も……井戸すら無い………」
 
 
「施設だけじゃないです。畑のある家以外には、農具も、猟の道具も、工具も在りません。
 
 発電機は発電機『だけ』置いてあるんです。替えのオイルすら無い。
 
 …先生………この村には、生活のための『労働』の痕跡が無いんですよ」
 
 
 
美耶子が蕎麦先生の肩に手を置く。
 
振り向く蕎麦先生に、美耶子のこわばった唇が息をかけた。
 
 
 
「何かを育てているわけでも、作っているわけでもない。
 
 家の中は最低限の生活用品と、嗜好品、娯楽の道具ばかりです。
 
 …実を言うと、財布や…紙幣、硬貨の類も、一切在りませんでした」
 
 
 
でも、外からの食糧で生活している……
 
 
 
強風が二人を包み、その髪をまきあげていった。
 
蕎麦先生が小刻みに、嘆息したように、小さな笑い声をもらす。
 
ぽんぽんぽん、と手を叩きながら、無表情の美耶子に、ようやく三日月を向けた。
 
 
 
「いやいや、久々に炸裂したな、肉袋クン。大した脳味噌のキレだ。
 
 二時間ドラマならきっと主役だよ」
 
 
「一人で探偵役は無理です。だって、異変に気付いただけで『答え』はまだ分からないんです。
 
 …先生、この村は、何をしてる村なんでしょうか?もしかして……さっき先生が言ってた…」
 
 
「ああ、間違いない。『呪い』で生活していたんだ。この村は」
 
 
 
三日月の表情のまま、蕎麦先生が美耶子の手を取り、ぎゅっと握った。
 
普段なら眉を寄せる美耶子が、何か、魔性のモノに見据えられたように。三日月を見つめ返す。
 
 
 
「でかしたぞ名探偵!君が見つけてきた『異常』は、私が片付けよう!!」
 
 
 
 


 

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